僕にウミガメを教えてくれた倉田さん

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昨日、ニュースを見ていたら、40年前、僕にウミガメのことを教えてくれた倉田さんが映っていた。下のURLをクリックしていただければわかる通り、倉田さんはパラオの激戦の生存者です。僕が水産センターで研修生をしていた時代、人工産卵場でカメの産卵を待つ間、焼酎を飲みながら倉田さんはよく戦争の話をしてくれました。倉田さんは、当時日本の統治領であったパラオの水産高校に通っており、17才の時、現地徴集を受け、パラオ諸島の最南端の島、アンガウル島に配属されました。1500名ほどの守備隊がいたそうで、生き残ったのはわずか15名とのこと。玉砕時に手りゅう弾をくらい、意識を失って生き残ってしまった。全員の玉砕後、同じく生き残った2名の戦友と南北わずか4kmの太い勾玉に似た島で、半年ほど逃げ回り、捕虜となったそうです。3年間の捕虜生活を終わって、日本に帰り、倉田さんいわく、簡単に入れるところとして、東京都水産試験場を受けたそうです。小笠原が日本に返還になった1968年に、小笠原に水産試験場を立ち上げ、初代の所長となり、戦争で中断していたアオウミガメの人工ふ化放流を再開したのです。

明治43年(1910)、小笠原で世界初となるウミガメの資源を保全するために、人工ふ化放流事業を開始しました。倉田さんに引き継がれたこの人工ふ化放流事業は、皮肉に見えますが、僕は、100年続いたこの人工ふ化放流事業を、2008年に廃止しました。

https://www.sankei.com/life/photos/150409/lif1504090022-p1.html

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