夢がはじけた世界

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しばらく前のことであるが、今後のELNAやカメのことを考えながら歩いているとき、ふと思ったことがある。自分の人生の夢を持てることって、すごく幸せなことではないのか。僕らが子供のころは、小さいながら様々な夢に取り囲まれていた。それらの小さな夢が、成長と共に人生の夢へと育って行く。それは自分では気づかないほど当たり前のことだと思っていた。でも、周りを見てみると、どうも当たり前ではないことに気が付かされた。世の中が変わってきているのだろう。画像の中の文字や絵が、頭の中に入り込んでいる人たちが増えているせいかもしれない。僕から見れば信じられないことだけど、自分自身の考えが持てない人もいるらしい。この世の中、どうもそのような方向に進んでいるように感じてならない。

そのような兆候は、すでにあったことに突然気づいた。ここ20年余りでウミガメを保護する団体が60位に急増している。ほとんどがボランティアとして活動している。当初は、卵を移植することが保護の最先端になっていた。移植=保護活動だったのである。1989年に、日本で初めて鹿児島県にウミガメ保護条例ができた。県の最初の仕事は、県内の各産卵地にふ化場を作り、移植を奨励したことである。もっとも、現在でも世界で保護と称して行われていることなので、当然のことながらそれには誰も疑問に思わなかったのである。そして、それが放流会などにつながって行き、生命の尊さを教える・学ぶという絶対的な護符となっていく。不思議なことにウミガメの保護という概念はその中に全く入っていないことに誰も気づかないのである。保護活動=ウミガメを守るになり、ウミガメを増やすという積極的な理論に結びついていない。そのウミガメを守るにしても、学問的な理論づけが全くなされていないのである。みんながやっているから、そこには問題はないかという疑問すらわかないらしい。

夢を持つということは、自分自身が学び続けるということだと思う。ただ単に情報を見つめ、コピペすることとは全く違う。そこには、自分自身が悩み、考えるという行為は入ってこない。ただ、時代が変わればそれは人として当然の姿になるだろうし、拒否するものではないだろう。僕が今できることは、移植がウミガメを減らす要因であることを証明し、人為的影響を排除したうえで、本来のウミガメが持つ種としての本能を信じることである。

余談だか、ある業界では「コピペ人間」という言葉があるらしい。かつての新人類の様ではないか。今後彼らはどのように進化していくのだろうか。

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