情熱は歪み、理解されないのかもしれない

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僕の生活のほとんどは、現場であった。が、最近デ弓と握手スクワークすることも増えてきている。不思議なもので、みんなと海岸にいると気持ちが一つになっていることに気付く。ふ化率を調べるために穴を掘ったり、電気柵を設置したり、トカゲを押さえつけたりと、その場その場の言葉のやり取りも一つのことに向かっていて、その言葉やり取りで言葉自体に暖かみを感じる。お互いの気持ちがぶれていないのである。その相手が現地の人で、敵対する人々であっても、見ている方向は同じで、言葉が生きている。そのような場で得たものやデータは非常に重く、信頼度も高い。それが現場ではなく、会議やシンポジウムでも同じである。特に国際シンポジウムやワークショップに行くと、たとえ言葉の障害があろうと、現場でやっている人と話をすると、現場での気持ちが伝わる。同じ方向をみれるのである。それができない人たちは、やはり現場人間ではない。そして、思いっきり上から目線で見られるか、無視されるかのどちらかである。最近、そういうカメ屋が増えてきた。そういう人たちとお互いの理解を得るためには、やはり面と向かって話をするしかないのだか、それには非常な努力を要する。そして得られるものも大きいけれど、結局は表面的なものだと後で気づくのである。

ところが、事務所の4階の窓際に座っていると、日々の会話はほとんどなく、通信手段がほとんど、無味乾燥な画面の文字しかない。これで仕事をしている人は、僕の感覚ではやっぱ異星人である。不思議なもので、本や論文を読むと同じ文字でも、それらは生きており、書いている人の息吹を感じる。それでも、僕の中では、机の上では絶対にウミガメを保全することはできないという確信がある。つくづく思うことだが、今の時代は情熱だとか人の熱い気持ちだとか、そういうものは必要ないのかもしれない。へたすりゃ、その情熱はストーカーと同じになってしまう。そして、そのことを受け入れない、気づかない若い人たちが増えているのだろう。そうは言っても、皮肉なことに、僕はその無味乾燥の世界でこうして文を書いているのである。

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