知ることによる第一歩
これまで、何回も書いたり話したりしたことだけど、また別12-後期胚死亡の角度からこれについて書いてみる。前回は、国際的なニュースレターに投稿したことにより、気づかないうちに飛躍していたと書いた。その後のカメとの関わりは、まさに階段を一歩一歩上るように、これの繰り返しであった。それは、山に登ることと同じである。足を一歩出せば、確実に上に登っていける。その意味では、もうほとんど記憶はないが、小笠原に行った次の年に、まだ23歳という若さだったけど、日本両性爬虫類学会で発表したときだったと思う。当時の小笠原で行っていた人工ふ化場のふ化状況は非常に悪く、卵の中でカメの形になって死んだ胚が多数みられた。今なら、発生段階でふ化寸前のステージ29とか30ということがわかるが、その時は何の根拠もなくふ化の2週間前だと思っていた。恥ずかしげもなく、小笠原のカメはなぜかわからないがふ化の2週間前に大量に死亡し、ふ化率が低いという発表をした。これって大嘘だけど、当時はそんな文献もなかった。しかし、この経験も僕にとっては、小さな一歩であり、それがニュースレターへの投稿になったのだと思う。
ほぼ20年前にインドネシアの調査をやりだして、知ること、気づくことが、個人や組織が発展することを知った。ずっと小笠原にいたら、土台になるものや比較対象がないので気づかなかったと思う。インドネシアに行って初めて小笠原の経験が基礎になって、僕の中にいろいろな現象やデータの解析に関したことなど、現場にいると自分自身の中に飛び込んでくるのである。それらが、階段の一段一段となってくるのである。僕はただひたすらそれを登ればよい。それが今では、長い階段となって、みんなもその階段を上ってきているが、これからは、自分自身の階段を作って登って行ってほしいと思う。