オサガメ産卵地までの7日間と電気柵

Pocket

昨日の早朝(11月18日)、インドネシア調査から戻りました。今回は11月6日、水曜日に出発したので2週間にも満たない短い調査でした。まだ、ご存じない方にパプアのオサガメ産卵地に入るまでのとんでもない日数について、話をしましょう。今回短かったのは、小笠原の職員に同行してもらったからです。出発日はほぼ週に1便しかない「おがさわら丸」の都合に合わせたためです。戻りは、11月22日に、日本ウミガメ協議会の総会の出席と、日本ウミガメ会議の招待者であるブレア・ウェザリントンに会って会食する予定があったためです。日本からの飛行機が決まるとインドネシアに入国する日の2日後の飛行機と出国する前日の飛行機チケットを、インドネシアウミガメ研究センター(YPLI; エルナのカウンターパート)の職員に手配してもらいます。今回は曜日の都合が悪く、インドネシアに入ったのが水曜日で金曜日に行くと夕方になり、パプアの方の役所が閉まってしまうので、入国した次の日の夜行便でパプアに入ることにしていました。インドネシアの入国日は、夕方になり翌日にYPLIに行き打ち合わせをします。ここでパスポートをコピーしてジャカルタの警察で旅行許可を取ります。その日の夜中に出発して、パプアの西パプア州の西端のソロンという町に行きます。ジャカルタを夜中1時半に出発、朝8時半頃に到着し、そのままソロンの警察の旅行許可と林業省自然保護局の特別自然保護地区立ち入り許可書を取得します。これだけですでに夕方になってしまいます。翌日海岸での食料や必要品の買い出しを行います。また、ボートの燃料の手配なども行います。そうしてやっと産卵海岸の近くにあるソーベバという町に入れたのが日曜日です。すでにインドネシアに来て5日目です。ソーベバに入った日は、ちょうどフィリピンに台風30号が来襲していた時で、その台風の渦が西パプア州にもかかっており、海は大荒れでした。翌日も動けず、結局海岸に入れたのが、入国して7日目の火曜日でした。ちなみに、ジャカルタからソロンまで空路で3500km、ソロンからソーベバまで海路で150kmあり、スピードボートで7時間かかりました。

今回の課題は、来年度のオサガメ産卵最盛期前に、野生化したブタが海岸に侵入しないように電気柵をすべて通電させ、それのメンテナンスシステムを確立することでした。1999年に、野生ブタにより全産卵巣数の63.3%が全卵食害にあっていました。電気柵部分の産卵密度が高いところは83.1%も食害率がありました。そのため2001年4月に電気柵を2セット設置して、電気柵部分の食害率を8.8%に下げることができました。電気柵の目的は、ブタに電気柵が危険であることを学習させ、海岸に侵入しないようにすることです。そのため、目立つように設置しています。その後、電気柵は海岸の後背地に4セット、川に1セット設置しています。後背地の1セットと川の1セットはイオン財団の助成金で一昨年から継続事業として増設したものです。電気柵は、最も長いので1.8km、全長で4.5kmほどあります。オサガメの産卵地の後背地は、全く人手が入っていない熱帯雨林のジャングルです。自然に倒壊する木が電気柵を壊し、枯れ枝や落ち葉が電線に絡みつき、電気柵を固定する絶縁スティックには苔が繁茂し、そこかしこで漏電が起きたり、電線が切断されたりします。また、充電用のソーラーシステムや高電圧を作り出すパワーユニットにも故障が絶えません。最初の電気柵を設置してからすでに13年が経過しています。今回、今後多少の漏電でも機能するように、それらをすべて修復しました。来年度は、電線の張替とさらに別の川の増設を考えています。来年度オサガメを絶滅から救うために、電気柵設置に協力していただける方いませんか。ただし、ものすごく時間がある方に限ります。来年度は海岸だけで2週間以上滞在する予定でいます。また、海の状況により、荷物を担いで、一日に30km以上海岸を歩くこともあり体力も必要です。

関連記事

  1. オサガメはなぜ減ったか
  2. NOAAの宣戦布告の解説
  3. 現場にいれば、見えない部分が見えてくる①
  4. 不思議なカメの世界
  5. 僕らが増やしたわけではない②
  6. エルナの到達点
  7. 僕にウミガメを教えてくれた倉田さん
  8. 小さな出来事、しかし大きな飛躍
PAGE TOP