飛躍はこれからだ!(No.29)

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今、小笠原に来ています。ここ小笠原ばかりではなく、インドネシアでもそうだけど、毎回現場に来て感じることがある。それは僕らの調査自体が少しずつ進化していることだ。僕自身は30年以上もカメと付き合って、色々な現場を見てきたけれども、ここ数年調査しているときの意識が昔とはぜんぜん違ってきている。僕らの調査は、モニタリング的な要素が非常に強い。ノルマさえ果たせば、それで済んでしまうのである。これに対して、疑問を感じ始めたのはずいぶんと前だけど、具体的に調査に幅がでて意識が変わってきたのは最近のことだ。最初の疑問はずいぶんと小さなものだった。それは、調査してもまとめなければ意味がない、データが埋もれていくのをみながら、モニタリング的に調査しても意味があるのだろうかということであった。膨大なデータが山積みされ、さらにもっと高く積み上げようとしていく調査方法に問題はないのだろうか。だけど反対に、研究者が論文を書くときによくやるように、仮説を立てて、それを証明するためにデータをとってまとめるというのは、僕らの仕事では通用しない。その狭間を埋めるためにどうすれば良いのか、それをずっと思い続けてきた。なんとなく気がついたのは、やはり海岸を歩いているときだった。海岸を見ながら歩いていると、種によって違うけれど、年間産卵巣数やふ化率などが自然と推定できるようになっている自分に気がついた時だった。それまでは、ただ産卵巣を探すことにだけ集中していた。そして、産卵巣数やふ化率などまるでコンピュータがチャートどおりに順序正しく同じノルマで結果を出していくように行動していただけだった。その大きなきっかけを作ってくれたのは、マノクワリの海岸である。結果として18kmの海岸に40数巣のオサガメの産卵巣があった。結果だけ見れば、オサガメの繁殖地としては失格である。しかし、僕はこの海岸で保護システムを立ち上げることにした。それは僕自身の中で見えないものに気付きだしていたためだ。

小笠原に来て3週間が経つ。ほとん毎日、ザトウクジラの調査で海に出ている。この調査もできるだけ多くの個体識別写真を撮るということが大きなノルマである。マッチングとの戦いである。マッチングが追いついてもやっと来遊数推定ができ、資源量の概要が見えてくるだけである。僕らの仕事はこれでよいのだろうか。小笠原の海岸で産卵巣数さえ、抑えておけばそれでよいのだろうか。昨年の12月に小笠原を含めて25年以上のテータを持っている世界の6ヶ所の繁殖地の比較と、書く繁殖地における資源動向の論文が出た。まあ、世界で6ヶ所しかモデルを使って比較できる場所がないというのも寂しい限りではあるけれど。結果として世界的にアオウミガメが増加しており、絶滅危惧種とはみなせない、世界的に4-14%の年間増加率でアオウミガメは増えているというものだ。小笠原も6.8%の割合で増加しており、絶滅の危険はない。しかし、クジラもウミガメも彼ら自身のことについては、僕らは全く何も分からない。人が一方的に脇から観戦して、増えた、減ったと評価するだけである。それはそれでよいのかもしれないけど、同じ調査をしていても、そうではない世界がある。ちょっと見方を変えれば、いろいろなことが見えてくるのである。

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つい先日、クジラの調査をしていたとき、6-7頭の群れが興奮状態になり激しく行動しているのに出会った。いわゆるメイティングポッドである。その時、「あの綺麗な背びれがメス」、「あのパンダ模様の尾びれオスの第一候補」、「背びれの小さいやつ、背びれの後ろに傷がある奴、頭から血が流れているやつ、あいつらは衛星的なオス、サテライトだ」という会話が、小さな調査船の中で飛び交う。ここで重要なのは、クジラたちの行動をみて誰もが納得することである。ぼくらは、それを科学的に証明すればよい。それをどのようにやっていくのか、それを実行していくことが僕らの仕事である。ザトウクジラの調査は世界的に行き詰っている。国際協力の元、個体識別写真を照らし合わせたり、遺伝子を解析して系群判別をしたり、それはそれで重要であるが、たぶんそれはそこで終結してしまう。もしくは、10年に一回とか、20年に1回というようなノルマ的な調査の継続しかないのである。ここ数年、小笠原ではバイオプシーといって、ボウガンでクジラを撃ち、遺伝子サンプルを収集している。これもかつては、個体識別写真と一緒で、数を取ることが主目的であった。しかし、観点を変えてみることができるのである。逆に、いったい何枚写真を撮れば、何頭の遺伝子サンプルがあればよいのであろうか。これらには線引きはできないのである。だったら、ひとつの群れがどういう構成をしているのかという、見方だってできるのである。2頭の群れは、メス同士なのか、オス同士なのか、若しくはカップルなのか、親子なのか、2頭の群れだって見ているとそれぞれ泳ぎ方が違う。見ていると、2頭の群れだって、オス同士の群れやカップルの群れというのが、なんとなく見えてくるのである。それを遺伝的に証明すれば、調査自体が持つ意味合いが全く違ってくる。最近の遺伝子解析は、系群判別、雌雄判別、父子・母子判別、個体識別を可能にする。それを利用しない手はない。

調査船の運転にしても、調査の認識が変わってくれば、その意識や運転の仕方が全く違ってくる。その技術の向上が、ELNAの財産だと思う。前にも書いたけど、ウミガメのふ化率調査に関して僕はELNAが世界のトップだと思っている。それがELNAの存在理由だと思っている。そして今、僕らはふ化率調査だけではない、ELNAとしての武器の種類が増えつつある。ストランディング個体の剖検技術、ウミガメ資源の回復や増殖技術、ふ化率の向上技術の確保などウミガメばかりではなく、クジラに関しても、調査の認識や技術向上が飛躍的に上昇しつつある。僕らは研究者や科学者ではない、また自然保護団体でもない、技術屋であり、資源管理者である。そのことの存在意義を、これらかはもっと具体的に示していきたいと思う。だから、僕らは飛躍するしか、僕らの前の道は開かれないのである。(「飛躍はこれからだ!」了)

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