- ホーム
- ウミガメの独り言(黎明編)
- つまずき(No.28)
つまずき(No.28)
前回の「独り言」、何故か不評。僕らしくない・・・らしい。きっと、ELNAがこれまでがむしゃらに走ってきて、今は一休み、よい意味でいうと安定期に入ったのかもしれない。そんな気持ちに陥っていたのかもしれない。カメの世界も世の中も常に動いている中で、自分だけボケッと突っ立ているわけには行かないのだろう。これを書いていて思い出したことがある。もう2年前くらいになるかもしれない、千葉の平砂浦にストランディングに行ったときのことだ。海岸脇の未舗装の道を両手に解剖セットの箱とバケツを持って歩いていたとき、その道の脇に10cmほどの杭が出ていた。僕は両手に荷物を持ったままそれにつまずき、チビまる子の様にドタッと、昔よくテレビに出ていた、二股の道でどちらに行くかって時に棒を立てて倒す、その道標の棒のようにそのまま顔も、身体も同時に、荷物を持った両手を広げて、地面とご対面した予測もしなかった出来事があった。まさに、ご対面中の気持ちが前回の「独り言」になったのかもしれない。まあ、突発事故ということにしておこう。
そう、僕は「怒り」や世の中の「理不尽」をオブラートで包み始めているのかもしれない。問題は何故そうなったかである。「怒り」がなくても、やっていけるようになったのは事実だ。今、インドネシアのパプアのオサガメで、僕はアメリカと手を結ぼうとしている。これを選択するのに非常に悩んだ。パプアのオサガメはアメリカやインドネシアのやり方では絶対に資源回復はしない。この考えは今も変わらない。かつては、お互いにじゃましあいながら、相手を追い出そうとしていた。僕よりもむしろ、アメリカやWWF-Indonesiaの方が、僕を追い出そうという傾向が強かったと思っている。これについては前にも書いたが、僕は前回の「独り言」に書いたように「疲れた」のである。ウミガメと関係のないところで精力を使うのは非常に疲れる。当初は「ふざけんな」とか言って、突っかかったり、相手を押さえ込んだりしたものだったけど、結局は「排除」するには至らなかった。この「排除」という言葉は、人間どうしの間で使うと非常に悪い言葉で、まるで子供の喧嘩のようであるけれど、敢えて僕は使う。一つは、相手が本気になって僕らを「排除」しようとした事による反動、もう一つはカメの現状からみた判断で、僕らが手を染めない限り間違いなくパプアのオサガメは絶滅するという判断、この判断はジャワ海のタイマイ・プロジェクトを遂行しているのと同じ土台に立ったものである。だから、僕は彼らを正面に据え、現場から「排除」しようとしていた。僕の言葉はそのまま、誰が書いたか知らないけど「ウミガメの航海」(確かこんなタイトル、もしかしてウミガメではなくオサガメだったかもしれない)という2年前にアメリカで出版された本に、パプアのオサガメのことが書いてあり、僕が「アメリカ人にはアジアのウミガメは守れない」と言っていると記載されている。事実だけど、これを書いた意図はやはり僕らの追い出しでしかない。この情報はアメリカのパプア担当者から出たものだから。
続きを読む